ハリスツィードのことについて話そう。
英国はグレートブリテン島と北部アイルランドの連合王国である。そして小さな島々が周囲に
ある。その一つがルイス島。スコットランドにあるアウターヘブリディーズ諸島に属している。
そのルイス島の一部がハリス島である。
ハリス島と呼ばれているものの、実際はルイス島の先端の地域を指しており、実は独立した
島ではない。
実際のハリス・ツィードは、最近では随分と柔軟になり、以前のようにゴワゴワとかさばらな
くなっている。それでもなお、まだまだ従来のラフさや武骨な特徴を保ち続けている稀有なツ
ィードといっていい。
刈り取った羊毛をしっかりと洗うことで、油脂分がなくなり、これが独特のカサついた手触りの
一因である。そして、もう一つの大きな特徴はヒツジの体でもう成長しなくなったケンプ(死毛
)を取り除かずに織りあげることだ。
ケンプは固くて染色しても色が染み込まずに白いままでパリパリとした手触りが残る。
染色された糸の中にケンプが混ざることで、生地の中に時折、無造作に白い糸が顔を出す。
他のスーツ用生地では絶対にそんな糸を一緒に織りあげたりしないが、ツィード、それもハリ
ス・ツィードはそこをあえてワイルドに織りあげてしまう。
それこそがユニークで武骨な雰囲気を作りあげている。ハリス・ツィードに使われる羊毛は、
ボーダー地域の山間に生息するチェビオット種の交配種やハイランド地域のブラックフェイス
が多い。
ツィードの中で唯一、原料、生産地、製法を厳格に規定し、登録商標としてのブランド化して
いるのが品質の高さで世界的に知られる「ハリス・ツィード」である。
その起源は18世紀まで遡るが、評価が上がるにつれ、ハリス島以外で作られたツィードまで
もがハリス・ツィードとしてロンドンの市場に出回るようになっていく。
この状況を憂慮したのが、マダム・ダンモアの友人であるメリー・シーホース夫人であり、19
09年に「ハリス・ツィード協会」を設立する。
これを機に、それまでルイス、ベンベクラ、サウスウスト、バラなどアウターヘブリディーズ諸
島にある各島の名前を冠していたものが、ハリス・ツィードへ一本化された。
また、協会設立にあたり、ダンモア伯爵夫人の功績を称え、彼女の家紋であったマルチーズ
十字架と球形を組み合わせた「オーブ&クロス」のトレードマークが作られ、1911年にはハリス
ツィードの産地保証と品質管理を目的にラベルが添付されるようになった。
しかし、ブラックフェイスの新毛を使うという定義が急激に増える需要をさばききれず、諸島
産の原料だけでは賄いきれなくなり、1934年には基準の改正を余儀なくされる。
これにより、島民によりピュアヴァージンウール段階から紡績、染色、さらに島民たちの手で
完成されたものという新しい定義が誕生した。
協会設立から100周年の節目を迎えた現在でも、糸の生産と生地の仕上げには島内の工
場が使われ、製織は昔ながらの製法を継承する職人たちの手によって行われている。
現在は約120名の手織り職人が自宅で旧式の織機によって生地を織っている。
つづく
テス・オーヒラ
ツィードの製法を説明しておこう。
(1)毛刈り―――剪毛は夏の間に行われる。18世紀までは地元に生息する羊のフリースを
使っていたが、20世紀に入ると羊毛のみ、他の地域のものを使うケースも増えた。
(2)選別――――羊毛は太さや長さに個体差があり、不純物が混入していることもあるため
、脂付羊毛の状態で選別を行うことは重要な作業、熟練した感覚が必要とされる。
(3)染色――――ツィードに用いるウールは、ヘザーミックスと呼ばれる天然素材で糸染めさ
れていた。これは、ヒースの花からとれた紫色を中心に、シダ、エニシダ、ゼンマイ、ライケン
、などのナチュラルな色合いをミックスした天然色の温かみを感じるカラーだ。
酷寒の気候を耐え抜いた羊から採れる上質なウールを、スコットランドの荒野にしか咲かな
い花からとれた天然色で染色し、その土地に生きる人々がみずから手で織りあげる。
こうした伝統の中で育まれたからこそ、ツィード生地には、かくも深い温かみが感じられるの
だ。
現在は、天然素材はすっかり成りを潜め、そのほとんどが化学染料へと変わってしまったが、
色のミックスの基本は不変であり、今でもクラシカルなスタイルの美しいパターンは時代を越
えて継承されている。かっては自然に溶け込む素朴さが魅力的である反面、植物染料の宿
命で発色に乏しかったが、近年、派手な柄を期待するスコッチマンが増えたことを受け、現在
は発色が鮮やかな上、生地が薄くなったことにより着心地もグンとよくなっている。
(4)織り――――ツィード川流域では、農家の妻が、おもに羊毛を手で紡いだ。ハリス島では
、船乗りが島に帰って仕事をすることもあり、男性が行う場合もあった。
(5)紡績――――自宅の作業場に置いた旧式な織機を使って、古来の方法で生地にする。
また、ツィードは本来綾織りで織られていたが、家庭内で手紡ぎした太い糸で手織りにする
平織り組織のホームスパンも、ツィードとして認知されるようになった。
こんな経緯があり、現在ではツィードの明確な定義づけは非常に難しい。
強いて言えば、英国やアイルランド産の羊毛を使った、起毛や縮絨の生地仕上げを行わな
いクラシックな製法で作られた毛織物というところか。
つづく
テス・オーヒラ
グレートブリテン島南西部に位置するウェールズ地方で生産されたツィードを「ウェルッシュ・
ツィード」と総称している。原料には丘陵部に生息するウェルシュマウンテンシープのウール
を使用。丈夫で肌触りのいい生地は人気も高い。
日本では、流通量の少ないこともあり、他ツィードに比べ知名度は低い。
また、英国北東部に位置するヨークシャー地方で織りあげられたツィードが「ヨークシャー・ツ
ィード」である。生産される生地の大半は工場での機械織りで大量生産されたもの。
比較的低価格で購入できる点が魅力となっている。
そして最後に「アイリッシュ・ツィード」である。アイルランド産の羊毛を使ったツィードの総称
で、「ドニゴール・ツィード」もこの中のひとつに含まれる。
タテに白糸、ヨコにブラックやグレーなどの暗色の色を用いるホームスパン糸のツィードであり
、太さが不均等なムラ糸や目の粗い生地感が特徴。
以上ざっと英国からアイルランドにかけてのツィードの産地を紹介してみたが、ではツィードと
いう織り物は一対何ぞやということである。
ツィードは18世紀のスコットランドに産声をあげる。その起源は、ツィード川流域に暮らす農
家にあった。資源の乏しかった農家は地元に生息するチェビオット羊の毛を夏に剪毛。
秋になると農家の妻が自分で紡ぎ、主人が冬の農閑期に、その糸を使って2/2 の斜文組織
に綾織りした織り物がツィードの始まりといわれている。
時を経て、この上質な紡毛織り物はロンドンでも販売されることになった。
ツィード川流域の生産地では、織り物に特別な名は付けず単に「フォーリーフ・トウィル」(四枚
綾)とだけ呼んでいた。
ところが、ロンドン在住の仲買人が、商人宛てに送り状を書く際、生地商品名として書いた
「トウィル」を「ツィード」と誤まって綴り、受取った商人が川の名前と混同して「Tweed」を織り
物名にしたのが語源とされている。
ほぼ同時期、アウターヘブリディーズ諸島のハリス島でも島に生息していたブラックフェイス
種の新毛で織る「ハリス・ツィード」が誕生する。
ツィード川流域では農家の副業的に発展したが、ハリス島では、島で暮らす漁民が自分たち
の漁労服用に作った織り物としてはじまり、天候によって生活が脅かされた漁民の生きる糧
として歴史を刻むこととなる。
18世紀の半ばまで、羊毛の刈り取りから縫製に至る工程は、自家内で手作業によって行わ
れていたが、アウターヘブリディーズ諸島では現在でもこの伝統的スタイルによって、ツィード
が生産されている。
ツィード川やハリス島に続き、アイルランド北西部のドニゴール州では「ドニゴール・ツィード
」。スコットランド北端のシェットランド島では「シェットランド・ツィード」の生産が幕を開け、20世
紀に入ると、ローカルでは賄うことのできないほどの注文が世界中から届くようになる。
羊毛の品質を管理するため、1950年には「英国羊毛公社」が設立される。
公社では、業者から買い取った羊毛を厳格に200もの等級に分けることで、現在に至るまで
品質の安定化が図られている。
つづく
テス・オーヒラ
ここ数年、急激にツィードの人気が復活している。ツィードは元来、英国それもスコットランド
地方発祥の毛織物であり、脂っ気のない太い糸を使って、綾織りや平織りで織りあげる武骨
な生地は、英国の田園風景によく似合っている。
もともとは、各家庭で家内制手工業のように、ゆっくりと手織りで織るのが伝統的なのだが、
現在では自動織機で織るのが一般的で、旧織機を使った昔ながらの手織りは今でも、しっか
りと残ってはいる。
英国人にとってウール(羊毛)は特別なモノで、いわば日本人にとっての米に抱く感情に近
い。そして、ツィードというと、日本ではハリスツィードのような、どこかゴツゴツした武骨なイメ
ージを思い描く人が多いが、一口にツィードといっても、エレガントなものからラギッドなものま
で様々なバリエーションがある。
織られる地域でいうと、スコットランドはもちろん、アイルランドのドニゴールツィードも有名で
あるし、欧州各地でもツィードと呼ばれる生地が織られている。日本でもツィード生地は織ら
れている。このようにツィードは、いまや洋の東西を問わず世界中で愛されているファブリック
といえる。しかし、やはり、ツィード発祥の地のプライドを守り、伝統的な製法にこだわる英国
製のツィードは、他には替えがたいものだ。
ツィードを語るうえで、もっともオーソドックスな分類法が、産地による名称である。
中でも、ハリス、ドニゴール、シェットランドはクォリティの高いホームスパンの三大産地として
世界的に名を知られている。三大産地の中でも、とくに上質とされるのが、スコットランドの
アウターヘブリディーズ諸島で作られた伝説のスコッチツィード「ハリスツィード」である。
このハリスツィードに次いで有名な産地が、アイルランド北西部のドニゴール州で産出される
アイリッシュツィードの代表「ドニゴール・ツィード」だ。この地方で織られるツィードは緯糸に
カラーネップ(節)を使うため、表面に赤や青などカラフルな斑点が散りばめられているのが
特徴である。
ゴワゴワした素朴な生地感によりラフな風合いを漂わせている。
スコットランド北端にあるシェットランド島に生息する羊毛で織った「シェットランド・ツィード」
も産地として知名度は抜群。アルパカに近いスポンジのような柔らかい羊毛が特徴で、ノル
ウェー山岳種の羊毛を使うことで、軽量で湿温性があり、ざっくりとしたナチュラルな風合いが
楽しめる。
「シェットランド・ツィード」は原毛をスコットランドで加工後、島内で手作業によって織りあげる
。三大産地の中では、一番柔軟な風合いを備えている。
また、「ハイランド・ツィード」とは、スコットランドのフリースを手紡ぎ手織りで仕上げた生地
を使うツィードの総称である「スコッチツィード」の中で北東にあるハイランド地方で生産され
たものを指す。その特徴はタテヨコ一方に白の紡毛糸を使用、他方には白以外にバラ染め
した紡毛糸が用いられる。
「ボーダーツィード」はスコットランドとイングランドの境界地域であるスコティシュ・ボーダー
ズで産出されたウールを原料に手で紡ぎ、生地に織りあげてゆく。分類上は「スコッチツィー
ド」の一種だが「ハイランド・ツィード」と明確な区分けをするため「ボーダーツィード」もしくは
「エジンバラ・ツィード」と呼ばれる。
つづく
テス・オーヒラ
かって我々の父祖たちは、何千年もの時代を、麻布の着物によって過ごしてきたという。
木綿が輸入され、また国内で生産され、広く着られるようになったのは、江戸期だったと言わ
れている。それ以来、木綿のしなやかさ、染めやすさが、新しいモードとして日本に定着をす
る。そして麻畑だった土地が綿畑にとって替わり、麻は日本の生活から失われていくのであ
る。
一方に絹という素材もあったが、あれは元来、寒冷地あるいは冬の季節に適したテクスチュ
アであって、決して夏向きの物ではない。
人間も地上に生きる生物なのであって、やはり自然とその気候に適合した衣生活を心がけ
て当然なのである。
つまり健康と衣生活は、実は密接な関係を持っているわけなのだ。健康でありたいと願うな
ら、食生活や空気の汚染にばかり気を遣っていても片手落ち、肌身に触れる衣料に、もっと
気を遣うべきだと思う。
ある日、友人の物理学に強い男から、石油を原料とした物質の、分子とその運動性につい
て聞くことがあった。僕は直感的にだが、いくつかの種類の合成繊維は、とても危険をはらん
でいると考えたのである。
日本人の死因の第一位となったガンで、実はこの一年に、自分の母親と、妻の母を亡くし
てしまったので、僕は特別にナーヴァスになってもいるのだが。
また某女性下着メーカーが、乳ガンを手術した女性のために、特製のブラジャーをプレゼント
しているとも聞いたことがあり、それがますます僕には妙な胸騒ぎを与えたのであった。
我々が消費している繊維のすべてが安全だとは、実は誰にも言いきれないのではないだろ
うか。
合成繊維の歴史は浅く、まだ実は安全性に対する研究が、絶対的に充分だという保証はな
い。その解答がなされるまでは、僕は僕の愛する人々に、やはり天然自然の繊維、安全かつ
快適な衣料を与えたく思うのである。
ファッションは元来、人間を護るために生まれた物であるのに、いつのまにか、人間をおび
やかし始めてしまっているのかもしれないと思うと、堪えがたい気分になってしまうのである
。
木綿もその生産工程において、ごく細かな綿ぼこりを発生し、昔はコットン工場の多くの労
働者が胸をやられたという。
人間はこうした悲劇をくりかえして、賢くなってきたのである。
そしてまた、歴史の中に正当であった物を、時代遅れだと見放し、忘れ去ってきた。
そのことを、たとえば大正末期に、柳田國男などの民俗学が指摘しているが、いっこうにかえ
りみられなかったわけである。
彼の「木綿以前の事」を、今日的に読み返してみるとそのあたりがよくわかる。
その記述の中に「細かい雪の降る土地では、水気の浸みやすい木綿を着るのはなお不便だ
から、言わば我々の雨外套の代わりに、麻布を着て雪を払って居るのであった」とあり、これ
こそはトーマス・バーバリーが、後に防水コットンを発明するに至った最初の発見、ヨークシャ
ーの羊飼いたちが、雨雪をしのぐのに着ていたケープと同質の物なのである。
トーマス・バーバリーを生まなかった我々は、麻の雨具としての機能を忘れ去り、数十年の後
に、イギリスからレインコートという衣料の存在を知らされるのであった。
松山 猛 「都市探検家の雑記帳」より抜粋
麻はもっと見直されていい素材である。
今年もご愛読いただき、ありがとうございました。来年は更に繊維研究に磨きをかけていきた
いと思います。
世界繊維紀行などにもトライしたいと思っています。
皆さま、良いお年をお迎えください。
テス・オーヒラ
皆さんも学校を卒業する前に就職活動をした経験があると思う。あのとき、自分のスーツ姿
を見てどう思ったか?おそらく、すこぶる似合っている!と感じた人は稀だろう。
かくいう私もそうだった。成人式のときに買ったネイビースーツに白いシャツ、それに当時お
決まりのエンジのネクタイ。鏡に映った自分は、まるで七五三のようにお子ちゃまで、少しも
格好よくなかった。
会社訪問で出会うライバルたちも同様。スーツを着ているのではなく、スーツに着られている
若者が列をつくっている図はなんとも滑稽で、
「ああ、嫌だな、あの列に加わるのは格好悪いなぁ」 と思ったのを覚えている。
はじめて着たスーツの似合わなさは只事ではない。
どうしてだろうか?
当時、スーツ姿が奇異に映る時代だったのかというと、そんなわけではない。今でも電車の
中で見かける就職活動中(今はシュウカツというそうだ)の学生はみんなスーツが似合って
いない。いつの時代も若者にはスーツが似合わないのである。
結論をいうと、スーツは年齢を重ねた男にしか似合わないのだ(毎日、仕事で着ていたか
どうかはさほど重要ではない)。
「スーツは、一日にして似合わず」である。
似合うようになるまでには多くの人生経験を必要とする。だからこそ、スーツは大人の服、
一生かけて愉しめる服ということができる。
では反対に、若い男にいちばん似合う格好とは?
それは、裸だ。もしくは白いTシャツにジーンズ。彼らは服で自分を飾る必要がないほど輝い
ている。
そんな彼らが社会へ出ようとするとき、全然似合わないスーツを着るというのは、残酷なく
らい象徴的だ。今まで似合ってきた服を脱ぎ捨て、似合わぬスーツを着て、企業への忠誠心
を示すため、これから頑張ります、という言葉よりもまず、うぶな姿でアピールする。
だから、就職活動中の学生はスーツが似合わない。
それが正しい姿だ。これが30過ぎた会社員のようにしっくりいっていたら、気味が悪いし、切
実さが伝わってこない。
誰でも、ルーティンでスーツを着る時期を経て、ビジネス・スーツが様になってゆく。
その後いろいろな冒険ができるようになるのは、長い基礎固めを終えた50過ぎからだと考
えたほうがいい。
どんなにお金持ちであろうとも、スタイルがよかろうとも、女性にモテようとも、それは同じで
ある。
「スーツは一日にして似合わず」
例外はない男の法則だ。
視点を変えれば、スーツほど平等な服はないともいえる。50過ぎの男で、よりよく着ようと
いう意志と実行力さえあれば、誰でも今以上に魅力的になることができるのである。
格差社会などといわれ、社会の歪みが叫ばれている今、この法則はオーバー50世代に大
いなる希望をもたらすだろう。
片瀬 平太 「スーツの適齢期」より抜粋
とくに、50歳をすぎたあなた、50歳に近づいているあなた、
スーツやジャケットをさりげなく決めようと思いませんか。そして、今よりもっともっと、男として
外面も内面も魅力的になりましょう。
カズ・オーヒラ
松山 猛の文章にこんなのがある。
―――僕と僕の妻と息子は今、身の周りのあらゆる物から、石油製品をなくそうとしている。
着る物のすべてを、天然繊維にすることが、わが家の健康の、ひとつのシステムだからであ
る。いくら食品にだけ気を遣っても駄目。身につける物、口に触れる物のほとんどを、なるべく
天然自然の物にしないと、僕らは本当の健康生活を楽しめない。
確実な科学的根拠を求められると困るのだけれども、化学繊維と発ガンの因果関係は、もっ
と研究されても良いように思う。戦後、女性は、かってないほど合成繊維を素肌に密着させて
暮らしてきたのである。
コットンも原料の処理工程において、相当のダストを出し、多くの人がその犠牲になってきた
のだった。今でも原産国のインドなどでは胸を患う人が多い。もちろん製品となったコットンは
大丈夫、安心して使える理想的な物だ。さらに羊毛はこの上ないマテリアルであり、「夢の繊
維」とは、まさにウールのことだと僕は思う。それは我々と同じ哺乳類が身につけている、自
然の衣服だからである。
我々の先祖は、もう少し毛深い生き物だったのだし、今日の我々は、冬の季節に、羊から
その天然のコートを借りているというわけだ。羊たちも夏には、少しは涼しい思いをしたいと
願っているかも知れない。
そして冬にはまた新しい毛を、羊を与えられるのである。
この、誰一人、どの一匹も損をしない(?)取引によって作られる羊毛製品こそ、寒い国に生
きる人間への、最大限の恩恵なのである。
僕は今、四季のほとんどを、なんらかのニットウェアと供に過ごしている。スーツも、30代に
なってから3着作ったけれど、さほど着ることがない。
最も気に入っているセーターのうちの一枚は、ミラノのベルサーチェの物。これはボートネック
のヘムのところと、袖付けの部分にジャガードをあしらった物で、身頃は無地。これは贅沢き
わまりない作業工程による代物だ。
他にはパリの「オウ・レンヌ・エコセ」という店で手に入れた、極太のシェットランドのカーディ
ガン。ロンドンの「フィッシャー」で買ったカシミア製Vネック。イタリア物の、濃紺のキャメルの
Vネックは、とても暖かい。
「ハーディ」の物は、野生のアルパカを使ったナチュラルなロールネックと、黒に白のスノウ
パターンのハイネックがある。
近頃は、あまり着る物を買わなくなったが、ヴィンテージ物の、リーバイス505とそのジャケッ
トである70505の、インディゴ・ブルーは生活必需品だ。
それに<ウェストン>のトカゲのローファーズや、<ロバート・ロウリー>の山靴があれば、
いうことはない。
ここ数年良い物だけを買うようにしたら、ヤツラはいっこうにくたびれないのである。
松山 猛 「都市探検家の雑記帳」より抜粋
化学繊維の安全性は、自らテス(繊維製品品質管理士)として、ずっと追求してゆくつもり
である。
明治時代や大正時代に撮られた日本人の古い写真を見ると、はたちに満たない若者であ
っても、自立した大人びた顔をしていて、今とのギャップに驚かされる。
内面的な成熟が顔に出ているのだ。
服装を見ると着物姿で、決して豊かな感じはしないものの、清潔感があり、知性と誇り高さを
感じる。
日本の今と当時との、この差はいったいなんだろうと愕然とする。
日本人の装いが急激に変わったのは、洋装がはじまった明治時代ではなく、戦後からだと私
は思う。
ジーンズやTシャツ、スニーカーのようなアメリカ文化が輸入され、カジュアルな服でどこへ行
ってもいいという風潮が蔓延して、ついには日本人のファッション観は180度転回したのであ
る。
それまではかなり貧乏をしていても、ここぞ、というときに着ていく服、どこへ行っても恥ずか
しくない服 「一張羅」 を大人なら誰でも持っていた。昔は小さな街にも必ず一軒はあった仕
立屋で、自分の寸法にあった背広やワイシャツを無理してでも誂え、大事な会合や目上の人
に会うときには、必ずそれを着ていった。
その「根」にあったものは、見栄や気どりではなかったと思う。
祖父や父の時代には、誰かのために装うのが当たり前だった。
ところが戦後、自由平等の名のもとに、誰かのためにでなく、自分のために着る時代がやっ
てくる。
自己表現のために服を着るようになって、日本は子供ばかりになった。
ファッショナブルだけれど、子供じみた装い。流行を追いかけて奔走する日々―――。
アメリカのせいにするつもりは、まったくない。
日本人がまったく違うアメリカ文化を、自分に都合よく吸収してしまったのだ。
日本の男が誰かのために着ていく服である一張羅を仕立てなくなったそのときから、自己
表現をすることがファッションとして大手を振るようになったのである。
装うことに関して大人である条件とは、かっての一張羅に象徴されるように、体にぴったり
合ったサイズのコンサバティブ(保守的)なスーツやシャツを数少なくても何着か持っていて
、それを誰かのために有効活用する機会があるか否か、である。
大人の装いを実践できる男は、例外なく成熟した顔をしている。
片瀬平太 「スーツの適齢期」より抜粋
恥をかかされるぐらいなら、この場で腹かっさばいて死んで見せる、というような異常な
緊張感をみなぎらせた男たちは、今の日本からは絶滅した。
その代わり、様々な経験を経て内面的に成熟した男たちは、日本のあらゆる地域に活動して
いる。
その男たちは、多分まちがいなく、ダークスーツが、すばらしく似合っているはずだ。
カズ・オーヒラ
おじいさんのつりがねマントを思い出す、ステンカラーのヒップレングスのマントと考えれば
いいわけです。
広いキャンパスの中で、授業ごとに教室の変わるアイビーボーイの移動には、自転車はな
くてはならぬ道具ですが、その時の防寒用として着られることが多いのです。
手でハンドルをにぎる他はケープの中はポッカポカです。
アイビーは尾錠好き、なんでも尾錠をつけたがります。キャンバス・ケープもフロント衿下に尾
錠をつけています。
あと、明治時代にインバネスコート、あるいはトンビといって袖なしで両肩をケープで覆う、
シャーロック・ホームズが愛用したツィードのコート、ご存知でしょう。
今年、レディスでこれがはやっているらしい。
実は、今日見たんです。半蔵門線の中で、綿コーティング地と思われるバーバリー風のイン
バネスコートを着ているお嬢さん、いやぁ、かっこよかった。
上品で可愛らしく、よく似合っていました。永田町で降りてしまいましたが。
もともとメンズアイテムなので、何かきそうな気配がするので、いち早くお知らせします。
あなたの着こなしの何かヒントになるかもしれません。
カズ・オーヒラ
――――母は、あらゆる苦労を重ねた。父が生活的には不運だったせいで、道端に太鼓
饅頭を売ったり、縁日を追ってスルメ、蜜柑水、ラムネ、ゆで卵などを売り、遂には魚の行商
までするようになった。だが、母はそのような貧乏の最中でも、私によそ行きの着物と、自分
の外出着だけはちゃんと作っていた。ことに私は発育盛りであるから、二年ごとぐらいには新
しい物を作らねばならない。
母はあらゆる倹約をしてそれだけは大事に仕舞っていた。
今になって考えると、母にはよそ行きの着物があることが生活上の大きな安定感になって
いたのではないかと思う。
つまり、どのように貧乏していても、いざというときは人並みの着物を着てつき合えるという
心の張りである。それは小さなことだが、母の気持ちにはかなり大きな比重をそのことが占
めていたように私には思える。
実際、今から考えれば、母が一物もないようになってしまえば―――事実、そういう生活で
あったから、母の心掛け次第では着たきり雀ということにもなりかねなかったのである。
だが、その外出着一枚を持っているということが、いつも母に人間的な矜持を持たせ、その
ことによって転落して行きそうな自分を抑止していたのではないかと思う。
松本清張 「実感的人生論」より抜粋
普段はカジュアルな服を着ていても、いざという時には、(婚礼とか葬式とか)きちんとした
礼服とかダークスーツを一着は持っておきたい。これがなかなかうまくいかないもので、サイ
ズが小さくなった、虫に食われた、色柄が派手すぎる、ちょうどいい着ていく服がない。
前から用意しておけばよかった。あわてて揃えて後で後悔する事が多いのは、皆様ご存知
の通りである。
一年中着れる合い物で、色はチャコールグレーか濃紺の無地で仕立ての良いシングルの
スリーピース、靴は黒のストレートチップを用意しておこう。
男としての矜持を保つために。
カズ・オーヒラ
坂巻輝行
Teruyuki Sakamaki
1974年生まれ
京橋店・店長
スーツファクトリーdpi四男坊。
お客様とフレンドリーな関係になって、お気にいりの1着をご提案します。
姿形は小柄だけと、声はスタッフの中で一番デカいんです!
やるときゃヤルO型
菱田大蔵
Daizo Hisida
1969年生まれ
京橋店 (自称)スタイリスト
年収の半分をスーツや靴などのファッション費用にあてる、大の服好き。
1930年代のスタイルを自社で販売できるようにしたいというコト。密かに計画中!!!自己中…だけどにくまれないB型
中村亮太
Ryota Nakamura
1966年生まれ(リーバイス66モデルと同い年)
神田南店 店長
趣味はマラソン、東京マラソンも4時間少々で完走!3人の子供のパパとして健康に気を遣ってます!もちろん酒・タバコ・ギャンブルは一切やりません!!(やりたくても小遣いが少ないから…トホホ…。)
大平一彦
Kazuhiko O!hira
1952年生まれ
神田南店 ノンフィクションライター
「神田生まれの太平記」
好評連載中!
松田智信
Tomonobu Matsuda
1968年生まれ
WEBスタッフ
スーツファクトリーdpiきっての長距離通勤者。
通勤バスの中で、もっぱらWEBの本を読んで勉強をしてます!
蓮見寿英
Toshihide Hasumi
1962年生まれ
WEB Director
みなさんに楽しんでいただけるサイト作りを心掛けています。
自称デザイナー…実は単なる「パチスロ好き」
二重人格のAB型