dpiブログ | スーツファクトリーdpi (ディーピーアイ)

オーダースーツのdpi

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2010.09.23

スーツ太平記    其の十二    マナーこそすべて

 五木寛之氏が、その著書「大河の一滴」の中で、C、Wニコル氏から聞いた極地へ探検に

行ったときの話がある。

 

--南極などの極地では、長い間テントを張って、来る日も来る日も風と雪と氷の中でじっと

我慢して待たなければいけないときがある。そういう時に、どういうタイプの連中が一番辛抱

強く、最後まで自分を失わずに耐え続けたか、ニコル氏に言わせると、それは必ずしも頑健

な体をもった、いわゆる男らしい男といわれるタイプの人ではなかったそうである。

 

たとえば、南極でテント生活をしていると、どうしても人間は無精になるし、そういうところでは

体裁をかまう必要がないから、身だしなみなどということは、ほとんど考えなくてもいい訳であ

る。

 

にもかかわらず、中には、きちんと、朝起きると顔を洗ってひげを剃り、一応服装をととの

えて髪をなでつけ、顔をあわせると「おはよう」と挨拶し、物を食べる時には「いただきます」と

言う人もいる。

こういう社会的マナーを身につけた人が意外にしぶとく強く、厳しい生活環境の中でも最後ま

で弱音を吐かなかった、という話である。――

ボウ ブランメル 肖像画.jpgのサムネール画像

                                                   ≪ボウ・ブランメル≫

 

極限状態でマナーを守れる事、これが人間のサバイバルにとって単なる体力以上に重要

なカギになる、というのは非常に興味深い。ヴィクトリア時代の英国のジェントルマン達は、

ものごころもつかない頃からマナーを厳しく体に叩き込まれてきた。

 

文字通り、スパルタ式で叩き込まれるのである。これは、世間体を保つため、というよりも

むしろ、どんな過酷な条件下でも生き残り可能な人間としての底力を育てる智恵だったの

かもしれない。

マナーは、体力より強いばかりでなく、おそらく、マナーは、愛よりも強い。

 

熱烈な恋愛によって結婚したカップルが、意外に早く破局、しかも、どろ沼のような破局を

迎え、人として最低限のマナーを守りあって暮らしているカップルが、結局末永く添い遂げ

ていることが多い身近な事例を見ながら、つくづくそう思うのである。

 

以上、中野香織氏の「スーツの神話」よりの抜粋であるが、日本の男性は、どうであろう

か。

 

英国に今も根強く伝統として生きているジェントルマンシップは、スーツのマナーとともに

あった。

着物から洋服に代わって140年、日本の紳士たちは、サムライのこころで、スーツを着て

欲しいと思う今日この頃である。

                                  

 ( カズ.オーヒラ )

 

 

 

 

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2010.09.21

神田生まれの 『 太 平 記 』 外 伝 (11)

太平記より古い時代の「平家物語」

【諸行無常】・・・が最大のテーマ。

 

いかなるものも不変ということはあり得ない。

また、ひとつの事にこだわるのは良くない!とも教えている。

 

太平記の外伝を書き始めて過去10作

そろそろ飽きた!

諸行無常の理(ことわり)の通り、変化をつけよう!

 

 

そこで、新作★ 

名付けて「京橋生まれの『源氏物語』」

源氏物語  

  

     坂巻を光源氏に見立てて、ヤツの女グセの悪さを暴くか!

     いやいや、ありもしないことを書くと、坂巻家にいらぬ禍をもたらす。

     家に帰った坂巻を恐怖が待つ!なんてコトが起きたらオレのせいだ!

 

 

かと言って、DAIZOが主役だと喜劇になってしまう。

日本の文学に喜劇はあまり見当たらない。

   

     「喜劇」と言えば、俳優の小林桂樹さんが亡くなった・・・。

     味のある、いい俳優さんでした。

     この場をお借りしてご冥福をお祈りします。

 

 

喜劇ではないけど

「京橋生まれの『忠臣蔵』」なんてどうだろう・・・。

ヤツの顔で、仇討か? 似合わねぇ!!!

忠臣蔵

 

大石内蔵助・・・略して大蔵(DAIZO)・・・無理がある・・・。

 

どうせなら浅野内匠頭の役をやらせるか?

「殿中でござる!」みたいなダボダボのズボンを穿いてるし・・・。

 

結局いい案が浮かばないから、当分「神田生まれの太平記」を書き続けよう・・・。

休み明けのブログって難しいなぁ・・・。

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2010.09.16

スーツ太平記 其の十一    官営富岡製糸場

神田南の大平です。

本題に入る前に、前回のスーツ太平記"外伝"の質問に対するアンサーは以下の通り。

―― 「太平記」というのは、丸谷才一氏の説によれば、「あの南北朝の動乱の時代にこの題

は、おかしいじゃないか、いや、おかしくないとか、諸説あるが、要するに「怨霊」で世の中が

乱れる、こんなバカバカしい状況は早くやめて、天下泰平が望ましいな、という気持ちで題を

つければ「太平記」になるわけで、「怨霊」に対する嫌悪感というよりも「怨霊」をほめたたえる

ことによって「怨霊」の跋扈を早くやめてもらいたいという、そういう本だったと考えれば、よく

理解できると思う。」と言っている。「怨霊」とは「楠木正成」の事である。

 また、絵の人物は、足利尊氏像といわれているが、最近の研究では、足利家執事、高師直

の肖像ではないかといわれている ――

 

 さて、前置きが長くなったが、本題に入るとしよう。

21世紀の現在、群馬県の富岡製糸場跡が、世界遺産候補地として、脚光を浴びているのを

ご存知だろうか。

 明治5年(1872)なぜ、帝都より遠く離れた辺鄙ともいえなくもない上州の富岡くんだりに最

新近代設備を備えた官営の製糸工場が、できたのだろうか。

この当時、日本が外貨を得るためには、もっぱら、生糸と茶が主であり、その70%を占めてい

た。まして、欧州(フランス、イタリア)では、生糸の伝染病である微粒子病が蔓延しており、

生糸生産は、壊滅的状態であった。また、中国も、アヘン戦争の後遺症で、生産もままならぬ

状態であった。

良質の生糸を産出する我が国は、欧州の生糸商人たちが、眼をつけはじめており、それこそ

どのようなランクの生糸でも、血眼で買い占めようとしていた。

明治新政府は、将来を見据え、良質の製糸、生糸を自国で賄えるようにするべく、模範にな

る官営の工場の設立を急いでいた。

富岡製糸場全景.jpgのサムネール画像時の大蔵民部省官吏、渋沢栄一らの尽力により、フランスから、ポール・ブリュナを招き、建

設を依頼した。ブリュナは、周囲に豊かな養蚕地帯が、広がっていることを立地条件の第一

とし、原料繭生産の70%を占める群馬、30%を占める埼玉、長野の中心にあたる富岡に目

をつけ、ここに官営の製糸場を、建設したのである。名門士族の子女、300人以上を集め

鳴り物入りでのスタートであったが、創業以来赤字続きで、明治24年には、民間払い下げ

となり、三井、原合名会社、片倉製糸とオーナーが、変わることになる。そのオーナーたちの

志の高さと、この富岡工場で育った人々が、全国各地で製糸業の指導に携わり、日本の絹

産業の発展の基礎を作っていったのである。

 

 

ポール・ブリューナ一行.jpgのサムネール画像

繰糸工場と工女.jpgのサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この広大な木骨レンガの製糸場を見るだけで、日本のシルクは、世界に誇りうるものであ

ったと実感できる。このレトロな風景が絵になるのは、絹の道に秋風が立ち始める頃であろ

う。是非一度、立寄ってみては如何であろうか。

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2010.09.13

神田生まれの 『 太 平 記 』 外 伝 (10)

太平記

元祖・太平記と言えば、鎌倉幕府崩壊~後醍醐天皇の親政の話

そして足利尊氏vs楠木正成・新田義貞の話

南北朝の話・・・でございます。

 

 

つまり

鎌倉時代末期から室町時代の初期までの動乱の世を描いた超・大作

でございます。

「太平」とは名ばかりの、戦乱に次ぐ戦乱の世の中の物語なのでござ

います。

 

それなのに・・・なんで、「太平(記)」なのか?

よくわかりませんが、知っている方がいらっしゃったら教えて下さい。

 

足利尊氏・・・なのか?

 

上の肖像画

歴史の教科書にも載っている「足利尊氏・肖像画」と一応は呼ばれていますが

これは、足利尊氏の家来の肖像ではないか?と言われているそうです。

 

わたくしの父(昭和9年生まれ)が幼少のころの学校教育では、足利尊氏は

大悪人と教えられたそうです。

 

つまり、戦前の教育では天皇絶対のため、後醍醐天皇に逆らった尊氏は大悪人

として、しばらく葬り去られた存在だったと聞き及んでおります。

 

それに比べ、上司にさからうわたくしなど可愛いものではございませぬか!

結局、これが言いたかったために大げさな前置き・・・。

やはり、ブログは難しい(T_T)

 

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2010.09.09

スーツ太平記 其の十    大久保と羅紗

文化8年(1811)、徳川幕府は、中国から数十頭の緬羊を輸入し、羅紗(紡毛ウール)

を試織したことがある。

小石川の薬園で飼育に成功し、約300頭まで増やしたという。

 

この羊から羊毛を紡ぎ、浜御殿や吹上の織り殿で羅紗を仕上げたと伝えられている。

ただ、その小石川薬園が、火事で緬羊を焼失してしまった。

 

(ちなみに、この小石川薬園が、現在の東京都文京区にある「小石川植物園」です!)

 

その後、明治6年の羅紗輸入総額は、132万3千円に達したという。

その内、フランネルは22万4千円であったから、はるかに羅紗の消費がまさっていた。

 

この羅紗の輸入量を憂いたのが、時の内務卿大久保利通であった。

なんとか国内生産ができないものかと、その可能性をさぐったのだ。

そして、中国から羊を1200頭輸入し、千葉に牧羊場を開いている。

また、明治10年には、西南戦争があったにもかかわらず、イギリス、アメリカ、フランス

などからメリノ種の羊をも輸入した。

 

大久保利通さん

 

こうして、明治12年からは、南千住の製絨(せいじゅう)工場で国産の羅紗が織られる

ようになったとの事である。

ただ残念なことに、大久保は明治11年、国産羅紗地の完成を見ることなく、紀尾井坂

で暗殺されてしまう。

 

もし、大久保が、紀尾井坂で暗殺されていなければ、我が国の毛織物産業も現在とは

違ったものになっていたかも知れない。

 

 

ハリスツイードのラペルを見るたびに、日本にも、岩手ツイードとか、十勝ツイードとか、

世界に誇れるような毛織物を産出していたかも知れないと思うのは、私の儚い想像に

すぎないのであろうか。

 

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2010.09.06

神田生まれの 『 太 平 記 』 外 伝 (9)

『 太 平 記 』 ~なるほど・データ特集 その1~

厚労省の「統計調査」よりも"ためになる"dpiのアンケート調査

 

いちおう、暦の上では秋・・・。

結婚シーズンを控えてのスーツスタイルのお話。

 

友人から結婚式の招待状が届いた。

さて!何を着て行こう。

「俺は礼服着るって決まってんだよ!」という方には無用かもしれないですが。

でもお付き合いを。

 

これは、dpiのお客様(30代~40代中心)にお聞きし回答をいただいた方の集計です。

=====================================

■質問1.ご友人の結婚式に呼ばれた場合、何を着て行きますか?

アンケート1.JPG

  「普通のスーツ」とお答え頂いた方が半数を少し超える6割弱といった結果です。

  30代~40代くらいになると、人生経験も豊富ですし場馴れしているため、上質なス

  ーツをさりげなく、かつ「バシっ!」と着こなして出席するのですね。  

  ブレザー&パンツといったお答えもありましたが、結構上級者のテクニックが必要

  とされる技です。

 

=====================================

■質問2.質問1で「普通のスーツ」と答えた方だけに質問

      着て行くスーツはどうしますか?

アンケート2.JPG

   日本人の特性でしょうか? やはりお祝い事には「お古」は気が引ける?

   新調してしまう方が多数。

   ちなみに用がすんだら通勤用にしたいので、フォーマル・ビジネス双方に使える

   色柄を選ばれます。

 

=====================================

■質問3.コーディネイトはどのようにしますか?

アンケート3.JPG

    やはり、白いドレスシャツがベースであることは基本のようです。

    一昔、カラーシャツが流行したこともありますが、白はお約束ですね。

    しかし、まったくの無地ではなくシルク混の艶っぽい白無地や、ドビーが主流

    のようです。

=====================================

■質問4.質問3で「白シャツ+ネクタイ」とお答えになった方に聞きました。

     ネクタイの色は?

アンケート4.JPG

   ネクタイの色は、シルバーグレーが一番多かったのですが、結構ご意見が割れていま

   す。

   しかし、派手ではなくエレガントな淡い色「ペール系」を選ぶ方が多いのも、30代40代

   の方達は「ファションをよくわかっている!」と感心させられました。

   ちなみに「白×黒レジメン」は、フォーマルスーツの基本ですが、これは主賓級の招待を

   受けた場合に限りますね。

   結婚される方の親御さん、媒酌人、上司、学校の恩師などです。

======================================

 

dpiのオリジナル!「ディレクターズ・スーツ」を着る方はいらっしゃらなかったのが、少し残念

でしたが、これから結婚式に出席するご予定のある方の、ご参考になれば幸いでございます。

 

◇ dpi フォーマルスーツ

◇ dpi オリジナル ディレクターズ・スーツ

http://item.rakuten.co.jp/dpi/c/0000000146/

 

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2010.09.02

スーツ太平記 其の九  『 西郷と背広 』

「洋服記念日」という日をご存知だろうか。

 

これは、毎年11月12日なのである。語呂合わせでも何でもなく、明治5年11月12日、太政官

布告339号が布告される。これによって、従来の正装であった衣冠束帯に代わって西洋式の

大礼服が採用されることになったのである。これこそ、服装における和から洋への大転換の

皮切りとなったのだ。

 

 しかし、この件が、すんなり決まった訳ではない。

明治4年の7月末での宮中会議は、服装の件で紛糾した。この時、ほとんど終わり近くに参議

副島種臣が、発言する。

「むかし、趙の武霊王は、胡の国を征服するのに、胡の服を用いたと承る。この趙の例になら 

って、やがては世界に皇国の実力を用いんがために、この際は、世界的な服装を用いんとす

るのである。」

 

 つまり、保守派の人々は、洋服を採用するのは、西洋に従い、屈することだと考えた。

ところが、副島種臣は、中国の故事を引いて、西洋を制するために洋服が必要なのだ、と

説いたのである。

 この副島発言のあと、それまで、腕組みをし、眼を閉じ、一言も発しなかった、参議西郷隆  

盛が、こう言った。

 

西郷隆盛さん

 

 「おいどんは、副島さんと同意見でごわす。」

これで、会議の空気が一変した。

明治5年には、西郷は、実力者中の実力者であり、誰も正面きって反対は、できなかったの

だ。

その意味では、明治5年に、日本服が、西洋服に変わったのは、西郷のおかげなのである。

 

 --この文章は、出石尚三著「福沢諭吉 背広のすすめ」よりの抜粋であるが、我が国の

和服から洋服への転換は、明治維新と綺麗に重なるのである。

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2010.08.30

神田生まれの 『 太 平 記 』 外 伝 (8)

8月も残すところ1日とちょっと。

明後日からはいよいよ9月。『鈴虫の音』『十五夜お月さん』『食欲の秋』・・・

・・・の、期待も空しく・・・。

 

鉄板のように熱せられたアスファルト・・・。

 

そう、目玉焼きが焼ける・・・。

焼いたことはないけれど・・・。      焼いたことある?

 

目玉焼き1

 

 

車のボンネットでも焼ける・・・。

焼いたことはないけれど・・・。     ないよね?

 

 

目玉焼き2

 

コショウかけ過ぎ!

 

ウチの父親は糖尿病のため、1日に卵は1個まで・・・。

 

 

目玉焼き3

 

 

なるべく野菜も一緒にとりたいものだ・・・。

マヨネーズをかけて♪ 醤油をたらして♪ これがオレ流目玉焼きの食い方。

結局、生活習慣病を進めてしまうような食い方。

 

あなたは?塩コショウ派? ソース派? それとも?

 

 

目玉焼き4

 

 

これでキマリ!

明日のランチは、目玉焼きハンバーグ・ランチだな・・・。

 

 

その前に、今日の晩飯だ!

か~えろっと!(^^)v

 

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2010.08.26

スーツ太平記 其の八

 暑い夏も、そろそろピークを過ぎて、あと1月もすれば秋の訪れも感じられるでしょう。

秋から冬にかけてはウールのスーツやジャケットを着て、目一杯オシャレを楽しんでください

 そのウールのお話ですが、よくウール100パーセントがよいと、こだわる方がいらっしゃいま

すが、それに、こだわりすぎるのは損です。

 ウールの服地の品質表示が毛98パーセント、ポリエステル2パーセントの場合は、丈夫さの

ためにポリエステルを加えてあると理解してください。

 2~3パーセントの混率というのは、そのような目的効果を得るためで、それによって着心地

や風合いに変化を感じさせることはありません。

 ところが、混率が5パーセントを超えると風合いが硬くなっていきます。10パーセントともなれ

ば丈夫さより原料コストを低くすることが目的になっていると思ってよいとおもいます。

 よくプロの符丁で毛七(けしち)といいますが、ウールが70パーセントで残りが他の繊維が

混ざっているものは、あまり上等な生地とはいえないのです。

 オーダーされる時の参考になさってください。

 またのご来店をお待ちしています。  

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2010.08.23

神田生まれの 『 太 平 記 』 外 伝 (7)

やっと甲子園(高校野球)も終わって・・・。

○沖縄の興南高校やったな!夏の大会は初優勝だって?

 

●今年は沖縄も大変だったからな。

○例の米軍基地問題でねぇ。

●そんな中での夏の大会初優勝はよかったなぁ、しかも春夏連覇だぞ!

 

○そうそう。

 

●そう言えば昨日一昨日と日暮里のある公園で盆踊りやってたぞ!

○東京のお盆は7月だろ?なんで8月に盆踊りなんだ?

●知らないけど、多分こどもたちの夏休みに合わせてんだろ?

 

○そうか・・・。まぁ、高校野球も終わって、8月のクラゲだらけの海じゃぁなぁ。楽しみがねぇか・・・。

 

●おいおい! それより子供の夏休みの宿題は終わったんか?

○知らねぇよ。子供の宿題に親は関与しないんだよ。

 

●俺らが子供のころは、親に手伝ってもらった科目もあったよな。読書感想文とか絵日記とか、昆虫採集とか・・・。

 

○今の子供の宿題に「昆虫採集」なんかねぇよ!

●時代が違うからねぇ・・・。

 

○でもよぉ、今も昔も変わんねぇのは、オヤジの夏はこれだよね!

 

  d123.jpgのサムネール画像 20090505102339.jpg

 

●いいねぇ!  もう、今日は早く帰りたくなっちまったよ・・・。

○暑くて食欲もないからさぁ、最近「冷ややっこ」とか「そうめん」で晩メシを済ましちゃんだよ。 おかげで夏バテ気味・・・。

 

704-2.jpg090528.jpg

 

●ホントの夏バテってなぁ、秋にくるんだよ。気をつけようぜ!お互い50歳手前だし・・・。

○そうだなぁ・・・。秋になるまえに、今のうちに「dpi」でスーツ作るか!

●結局売り込みブログかよ!!!

 

 

 

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